日本国憲法の制約、尖閣諸島の危機、感染報道――国家の危機管理と日本のジャーナリズムを問う

新型コロナウイルスをめぐる感染報道、東京都の対応、日本国憲法が国家危機への対応に及ぼす制約、尖閣諸島周辺で強まる中国の活動、安倍政権とドイツの長期政権との比較を通じて、日本の危機管理と報道機関のあり方を問う。

2020年8月10日
新型コロナウイルスの感染者数が再び増加する中、東京都新宿区歌舞伎町のホストクラブなど、いわゆる「夜の街」と呼ばれた業態で集団感染が確認され、その対策が社会問題となった。
その数か月前の2020年3月22日には、国と埼玉県が開催自粛を要請したにもかかわらず、さいたまスーパーアリーナでK-1の大規模興行が開催され、主催者発表で約6,500人が来場した。
この出来事が象徴していたのは、日本では重大な感染症が出現した時でさえ、国家や地方自治体が強制力を持って人の集合や営業を止めることが容易ではない、という問題だった。
日本に災厄をもたらそうとする者が存在するとすれば、彼らは当然、日本の法制度や日本国憲法の制約を研究し、その弱点を突こうとするだろう。
今、まさに風雲急を告げている尖閣諸島をめぐる中国の行動は、その問題を考える上で象徴的である。
2020年当時、中国公船による尖閣諸島周辺での活動はかつてない規模で続いていた。
感染症への対応と同時に、日本は安全保障上の重大な問題にも直面していたのである。
ところが、日本国内の報道を見る限り、感染者数の増減は連日のように大きく報じられる一方で、尖閣諸島をめぐる情勢が、それに見合うほど大きく継続的に報じられているとは、私には到底思えなかった。
東京都の小池百合子知事についても、私は当時の対応を厳しく批判した。
新型コロナウイルスが中国で拡大し始めた時期、東京都が備蓄していた防護服を中国側に提供したことは事実である。
問題は、その判断が日本国内で感染が拡大する可能性を十分に考慮したものだったのか、ということである。
さらに私は、小池氏の学歴をめぐって当時から提起されていた疑問について、朝日新聞やNHKなど大手報道機関の追及が極めて弱いと感じていた。
感染者数の発表方法についても、行政発表をそのまま伝えるのではなく、その数字が何を意味しているのか、検査数との関係はどうなのか、報道機関自身が検証する必要がある。
にもかかわらず、私の目には、朝日新聞やNHKなどが、こうした問題以上に世論調査を頻繁に行い、その数字を政治報道の中心に据えているように映った。
当時、衆議院解散・総選挙をめぐる観測が流れる中、立憲民主党などの野党は早期解散に強い警戒を示していた。
私は第二次安倍政権について、一貫して高く評価してきた。
第二次安倍内閣が発足したのは2012年12月26日である。
2020年8月10日の時点で、安倍晋三首相が第二次政権を担ってから約7年8か月が経過していた。
それでも、日本の戦後政治においては異例の長期政権だった。
ここで、私はドイツとの比較を提示したい。
戦後ドイツの首相には、アデナウアー、エアハルト、キージンガー、ブラント、シュミット、コール、シュレーダー、メルケルらがいる。
アデナウアーは1949年から1963年まで約14年間。
コールは1982年から1998年まで16年間。
メルケルは2005年11月に首相に就任し、2020年8月10日の時点で約14年9か月にわたってその地位にあった。
私は、こうした長い在任期間が、国際社会における指導者の経験、交渉力、人的ネットワーク、そしてプレゼンスを高める一つの重要な要因であると考える。
先般、テレビ東京の番組に出演してメルケル首相を高く評価していた坂東眞理子氏に対して、私は言いたい。
メルケルを評価するのであれば、その長期政権を可能にしたドイツ政治の構造まで見るべきではないのか。
2020年当時、日本の新型コロナウイルスによる死者数は、欧米の主要国と比べれば大幅に少なかった。
それにもかかわらず、安倍政権の対応を正当に評価せず、外国の指導者だけを称賛するのであれば、私はその評価軸そのものを疑う。
また、原文で私は「ドイツは憲法で共産党を禁止している」と書いたが、ここは歴史的事実に即して訂正しておく。
正確には、旧西ドイツのドイツ共産党(KPD)が1956年、連邦憲法裁判所の判決によって禁止されたのであり、ドイツ基本法が「共産党」という名称の政党を一律に禁止しているわけではない。
重要なのは、ドイツの民主主義が、自ら民主的憲法秩序を破壊しようとする勢力に対して「何もしない民主主義」ではなく、「闘う民主主義」という考え方を採ってきたことである。
私は、日本もまた、国家そのものを危険にさらす行動に対して、民主主義と自由を守るための制度を持つ必要があると考える。
閑話休題。
私には、朝日新聞の報道姿勢はNHK以上に深刻に見えることがある。
感染者数を大量に報じ続ける一方、中国が尖閣諸島周辺で活動を強めている事実を、国民がその重大性を十分認識できるほど報じているだろうか。
私はそうは思わない。
感染症は重大な問題である。
しかし、感染症だけが国難なのではない。
領土、安全保障、国家主権もまた国民の生命と生活を左右する重大問題である。
私は前日までに、石平氏の論考の英訳を進めていた。
その論考を読みながら改めて思い起こしたのが、19世紀後半から20世紀初頭に中国で長期間生活した米国人宣教師アーサー・H・スミスの著作『中国人的性格』である。
外国人として長く中国社会を観察したスミス。
中国に生まれ、中国社会の内部を知った上で日本に帰化した石平氏。
立場も時代も異なる二人の観察には、中国社会とその政治行動を理解する上で重なる論点がある、と私は考えている。
その中国が、外国社会に向けて宣伝・世論工作を行わないと考える方が不自然である。
だからこそ、日本の新聞、テレビ、政治家、知識人、弁護士団体、市民団体などについても、外国政府の主張を無批判に受け入れていないかを常に検証する必要がある。
もちろん、個々の組織や人物が中国政府の指示を受けていると、証拠なく断定することはできない。
しかし、報道内容や政治的主張が、結果として外国政府の戦略的利益と一致しているのであれば、その関係を検証することはジャーナリズムの当然の仕事である。
当時、中国政府も韓国政府も安倍政権の歴史認識や安全保障政策に強く反発していた。
同時に、日本国内でも朝日新聞、NHKをはじめとする報道機関、野党、知識人、市民団体などから安倍政権への激しい批判が続いていた。
それらが直ちに同じ意図によるものだと断定するつもりはない。
しかし、日本の内政と外国の戦略的利益がどこで重なり、どこで異なるのかを冷静に検証することは必要である。
感染者数だけを見ていてはならない。
その時、尖閣諸島では何が起きているのか。
日本の周辺では何が起きているのか。
そして、日本の法律と憲法は、本当に国民の生命、領土、主権を守ることのできる構造になっているのか。
報道機関は、それを国民に伝えているのか。
これこそが私が2020年8月10日に発した問題提起の核心である。

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