中国科学技術部の「ウイルス管理強化」通達をどう読むか――武漢研究所流出説とWHOをめぐる重大な疑念
月刊誌『Hanadaセレクション』掲載の長谷川幸洋・高橋洋一・石平による対談「中国が新型ウイルスをバラ撒く可能性」を引用し、武漢研究所流出説、中国科学技術部が2020年2月15日に公表した実験室の生物安全管理強化策、2018年の米外交官による武漢ウイルス研究所への懸念、WHOと中国との関係をめぐって当時提起されていた重大な疑問を検証する。
本稿は2020年8月10日に発表した文章である。
原文では、当時発売中だった月刊誌『Hanadaセレクション』掲載の長谷川幸洋氏、高橋洋一氏、石平氏による対談を引用し、新型コロナウイルスの起源をめぐって提起されていた「武漢研究所流出説」と、WHOと中国との関係について論じた。
その後も新型コロナウイルスの起源は世界的な調査対象となってきた。
2020年2月15日に中国科学技術部が、新型コロナウイルスを扱う高レベル病原微生物実験室について、生物安全管理を強化する指針を公表したこと自体は確認されている。
しかし、その通達が存在するという事実だけによって、武漢の研究所からウイルスが流出したことが証明されるわけではない。
2025年6月にWHOのSAGOが公表した評価では、利用可能な科学的証拠の重みは人獣共通感染による自然界からの流入を支持するとされた一方、必要な研究所関連資料が十分提供されていないため、研究所事故の可能性についても完全な評価を行えない状態が続いている。
したがって以下では、2020年当時の対談者の発言と私の問題意識を歴史的記録として忠実に残し、「確認された事実」と「対談者または筆者による推測・評価」を明確に区別する。
【本文】
2020年8月10日
以下は、「中国が新型ウイルスをバラ撒く可能性」と題して、当時発売中だった月刊誌『Hanadaセレクション』に掲載された、長谷川幸洋氏、高橋洋一氏、石平氏による対談特集からである。
【流出説の有力な証拠】
長谷川幸洋氏は、2020年5月3日、トランプ米大統領が、新型コロナウイルスが中国・武漢市の研究所から流出したことを裏付ける「決定的な」証拠を含む報告書を公開する考えを示した、と述べている。
また、ポンペオ国務長官も「多数の証拠がある」と発言したとして、
「これらの発言から、米政府はどうやら『武漢の研究所からウイルスが流出したのは間違いない』という立場を固めたように思います」
と語っている。
これに対して石平氏は、
「私も、武漢の研究所から流出した可能性が高いと見ています」
と述べる。
そして、
「どうして成都でも上海でもなく、武漢からウイルスは広がったのか。中国政府の肝煎りでつくったウイルス研究所が武漢にある」
と指摘した上で、武漢にウイルス研究を行う重要な研究施設が存在することを状況証拠の一つとして挙げている。
さらに石平氏が注目したのが、2020年2月15日に中国中央テレビ系の公式サイトで報じられた、中国科学技術部による研究室・実験室の生物安全管理強化の措置だった。
石平氏は、
「中国の科学技術部(文部科学省に相当)は全ての研究室や実験室に対し、ウイルスの管理強化を要請する通達を出したと言います」
と述べ、
「裏を返せば、これまでウイルスの管理が杜撰だったということ。流出説を認めたに等しいですよ」
と評価している。
そして、
「人工的につくったウイルスか、自然発生したウイルスかはわかりませんが」
と続けている。
ここで重要なのは、中国科学技術部が当時、生物安全管理を強化する措置を実際に公表していたことと、「それは研究所流出を認めたに等しい」という石平氏の解釈とは、別の事柄であるということである。
前者は確認できる事実であり、後者は石平氏による推論である。
しかし、世界的な感染拡大が始まった直後に、中国政府自身がウイルスを取り扱う高レベル研究施設の管理強化を打ち出していた事実が、研究所の管理体制を検証する必要性を生じさせたことも確かである。
【2018年、武漢研究所の安全性に対して示されていた懸念】
中略。
続いて長谷川氏は、研究所流出説が2020年4月半ばから再び注目されるようになった契機として、4月14日の『ワシントン・ポスト』の記事を紹介している。
その記事では、2018年に米国の科学担当外交官らが武漢ウイルス研究所を複数回訪問し、研究施設の活動や安全管理について調査した後、米国務省へ外交電報を送っていたことが報じられた。
長谷川氏は、その電報について、
「研究所を安全に運営するために必要な、適切に訓練された技術者が圧倒的に不足している」
との内容が記されていたと紹介している。
つまり、新型コロナウイルスが世界に出現する約2年前の時点で、武漢にある研究施設の安全管理について米国側から懸念が示されていた、というのである。
さらに長谷川氏は、『ワシントン・ポスト』の記事に続き、FOXニュースが米政府関係者の見方として、中国側のウイルス研究の目的について報じたことを紹介している。
これらの報道によって、2020年春当時、武漢研究所と新型コロナウイルスとの関係をめぐる疑念が米国で一段と強まった、と対談では論じられている。
【WHOと中国をめぐって提起された疑念】
続いて対談はWHOと中国との関係に移る。
長谷川氏は、ロバート・オブライエン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が2020年4月21日のラジオインタビューで、
「WHOは中国に支配され、中国のプロパガンダ(宣伝)の道具になっている。米国は約5億ドル支払っているが、中国は4千万ドルだ」
と批判し、さらに、中国がWHOに対する影響力を持つため別の資金を支払った可能性について米国側が調査している、という趣旨の発言をしたことを紹介している。
長谷川氏はそこから、
「つまり、米国は中国の『裏金』を疑っているのです」
と述べ、
米情報機関がそれについて相当程度調査しているのではないか、との推測を示している。
これに対して石平氏も、当時のWHOの中国に対する姿勢を批判し、
「WHOの不自然なまでの中国擁護を見ていれば、ありうる話です」
と述べている。
さらに、
「もし、WHOを買収していた証拠が出てくれば、中国が世界を欺こうとした罪が白日の下に晒されることになります」
と語っている。
ここで石平氏自身が「もし証拠が出てくれば」と述べている点は重要である。
すなわち、この段階で対談が扱っているのは、立証された買収事件ではなく、WHOと中国との関係をめぐって当時提起されていた疑念なのである。
【高橋洋一氏が語った国際機関選挙】
高橋洋一氏はさらに踏み込み、WHO事務局長選挙を含む国際機関の選挙について、
「国際機関の選挙に公平なんて言葉はなく、いわば『袖の下』の世界なんです」
との見方を示している。
そして、2006年にWHO事務局長選挙へ立候補した尾身茂氏を例に挙げる。
尾身氏は当時WHO西太平洋地域事務局長を務め、有力候補の一人とみられていたが、中国が支持したマーガレット・チャン氏が最終的に事務局長に選出された。
高橋氏は、この選挙についても資金や各国間の政治力学が大きな役割を果たしたとの見方を示している。
ただし、「裏金によって当選した」という部分については、高橋氏の対談中の評価・主張として扱う必要がある。
公開された確かな証拠によって、この対談中の「裏金」という表現が立証された事実として確認されているわけではないからである。
【私がこの対談を掲載した理由】
私が2020年8月10日にこの対談を紹介した最大の理由は、新型コロナウイルスの起源について、最初から一つの可能性だけを排除してはならないと考えたからである。
武漢には世界有数のウイルス研究施設が存在した。
2018年には、その研究所の安全管理をめぐって米外交官から懸念が示されていたと報じられた。
そして感染拡大後、中国科学技術部自身がウイルスを扱う高レベル研究施設に対して生物安全管理の強化を求めた。
これらの事実から直ちに「研究所流出」が証明されるわけではない。
しかし、研究所事故という仮説について徹底的な調査を求めることは当然だった、と私は考える。
同様に、WHOが感染拡大初期に中国政府から提供された情報をどのように評価し、どのような判断を行ったのかについても、政治的忖度を排して検証されなければならない。
中国を批判するために研究所流出説を採用するのでもない。
中国を擁護するために研究所流出説を排除するのでもない。
必要なのは資料である。
必要なのはデータである。
必要なのは、武漢で何が起きたのかを世界が検証できるだけの情報公開である。
2020年8月10日に私が提起した問題の核心は、そこにあった。
この稿、続く。