広島原爆の日、首相記者会見で何が起きたのか――朝日新聞記者の質問、官邸報道室の制止、そして報道の節度を問う

広島原爆の日に行われた安倍晋三首相の記者会見で、予定された質問終了後も質問を続けた朝日新聞記者と官邸報道室との間で起きた出来事を取り上げる。朝日新聞の抗議と官邸側の説明、産経新聞・産経抄の論評を引用しながら、慰霊の日における記者の姿勢、質問する権利、報道機関の節度と責任を問う。

2020年8月11日
8月6日、広島で原爆死没者慰霊式・平和祈念式が行われ、安倍晋三首相も参列していた日のことである。
私はプロ野球中継を楽しんだ延長で、NHK「ニュースウオッチ9」をながら見していた。
安倍首相の記者会見の様子も報道されたが、そこでは私が後に知ることになる場面は報じられなかった。
夜11時、テレビ東京の「WBS」を観ていた。
ここでも安倍首相の記者会見が報道された。
その終了直前、予定されていた質問が終わった後にも、さらに質問を続ける記者の声が流れた。
私は、その声の調子と質問の内容を聞いて強い違和感を覚えた。
私には、当時の立憲民主党などによる安倍政権批判と同じ方向から、首相を追及すること自体を目的としているかのように聞こえた。
しかも、その日は8月6日、広島原爆の日である。
慰霊のために首相が広島を訪れていたその日に、記者会見の終了間際まで政治的追及を続ける姿勢を、私は到底理解できなかった。
私は当時、この質問者について極めて厳しい言葉で批判した。
それほどまでに、質問の仕方から、広島で行われた慰霊というその日の最も重大な意味への配慮が感じられなかったのである。
私は、以前から記者会見で激しい言動を見せるジャーナリストを思い起こし、「記者とは何か」「質問する権利とは何か」を考えざるを得なかった。
同時に疑問に思ったことがある。
NHKがこの場面を報道しなかった一方、テレビ東京はこれを放送した。
ところが、その質問者がどの報道機関に所属しているのかという説明はなかった。
質問の場面だけを切り取って流すのであれば、視聴者はその背景を知ることができない。
テレビ東京はなぜこの場面を選んだのか。
そして、どういう意図で質問者の所属を伝えなかったのか。
私はその点にも疑問を感じた。
翌日、有数の読書家である友人が、
「産経新聞の3面記事、見ましたか」
と言ってきた。
そこで初めて私は、あの質問をしていたのが朝日新聞の記者だったことを知った。
私は心底呆れた。
私がかねてから朝日新聞の報道姿勢、特に日本の歴史・外交・安全保障をめぐる報道について極めて厳しい批判を続けてきた理由を、改めて突きつけられたように感じたのである。
以下は、産経新聞が報じた内容の要旨である。
【質問制止に朝日新聞が抗議】
朝日新聞社は8月6日、安倍晋三首相が広島市内のホテルで開いた記者会見で、終了後も質問を続けようとした朝日新聞記者を官邸報道室の職員が制止したとして、報道室に抗議した。
朝日新聞側は、職員が記者の右腕をつかんだと主張した。
これに対し官邸報道室は、
「腕をつかむことはしていない」
と回答した。
事前の説明では、地元記者2問、首相同行記者2問の計4問を受け付ける予定とされていた。
4問目の終了後、朝日新聞記者は、首相が約50日間まとまった記者会見を開いていない理由について質問した。
安倍首相は、
「今回も新型コロナウイルス感染症について、わりと時間をとってお話しさせていただいた」
との趣旨で答えた。
それでも記者がさらに質問しようとしたところ、官邸報道室側が終了を促した。
朝日新聞は、
「質問機会を奪う行為につながりかねず、容認できません」
との趣旨で抗議した。
これに対し報道室側は、広島空港への移動時刻が迫っていたため、速やかな移動を促すため注意喚起を行った、と説明した。
【8月8日「産経抄」が指摘したこと】
さらに私は、8月8日の「産経抄」を読んだ。
そこでは、米国の著名なジャーナリスト、ウォルター・リップマンが1922年の『世論』で、新聞について、すべてが悪意を持っているわけでも、深い企みを抱いているわけでもない、という趣旨を述べたことを紹介した上で、今回の朝日新聞記者の行動を批判していた。
産経抄が注目したのも、記者会見がどのような条件で行われていたのかという事実関係である。
官邸報道室は事前に「4問のみ」と説明していた。
4問が終わった後にも朝日新聞記者が質問し、首相が答えた後も、さらに質問を重ねようとした。
しかも官邸側には広島空港への移動時間が迫っていたという事情があった。
この経緯を抜きにして、
「記者が官邸によって質問を封じられた」
という部分だけを見れば、官邸が都合の悪い質問を高圧的に遮ったような印象になる。
しかし、背景まで含めて見ると、印象は大きく変わる。
産経抄はさらに、第1次安倍政権時代の記者対応にも触れていた。
安倍首相は当時、朝日新聞が一つの会見に複数の記者を出し、様々な角度から質問を重ね、失言を引き出そうとしている、と語っていたという。
また、同じ2020年8月4日には、首相官邸で記者団からの質問に答えた後に退邸しようとした安倍首相に対し、毎日新聞記者が、
「総理、逃げないでください」
と声をかけ、その後、自らがその記者だったとSNS上で明らかにした出来事もあった。
【質問する権利と、質問する側の責任】
もちろん、記者が首相に質問するのは当然である。
権力者に厳しい質問をすることも、ジャーナリズムの重要な役割である。
しかし、「質問する権利」があるということと、いつ、どこで、どのような状況でも、会見の運営ルールを無視して質問を続けてよいということは同じではない。
まして8月6日である。
広島原爆の日である。
犠牲者を慰霊し、核兵器の惨禍を世界に伝えるための日である。
その日の首相の広島訪問を、通常の政局取材とまったく同じ感覚だけで扱ってよいのか。
私はそうは考えない。
記者には質問する権利がある。
同時に、場所、時間、状況、そして取材対象となっている出来事そのものに対する最低限の敬意も必要である。
【私が朝日新聞を厳しく批判する理由】
私は原文で、朝日新聞に対して極めて厳しい表現を用いた。
それは、今回の一記者の一質問だけを理由としたものではない。
歴史認識。
中国報道。
韓国報道。
安全保障。
慰安婦問題。
そして安倍政権に対する報道。
長年にわたって積み重なった朝日新聞への私自身の評価の上に、この出来事があったからである。
報道機関は権力を監視する。
それは必要である。
だが、報道機関自身もまた、自らの取材方法、記事の構成、見出しの付け方、映像の切り取り方について、社会から検証されなければならない。
ジャーナリズムを名乗れば、その行動が無条件で正当化されるわけではない。
権力を監視する者もまた、自らの権力性を自覚しなければならないのである。
広島原爆の日に行われたこの記者会見は、私に改めてそのことを考えさせた。

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