大阪・関西万博を歩く――ムソルグスキー《展覧会の絵》/本日の大阪フィル特別演奏会への予習作品
ムソルグスキー《展覧会の絵》
ムソルグスキーの《展覧会の絵》は、絵画を音楽によって描き出した作品であると同時に、亡き友人への追悼と、芸術家の記憶が永遠のものへ変わっていく過程を描いた傑作である。
原曲はピアノ独奏曲として1874年に作曲された。
今日、演奏会で広く親しまれているのは、モーリス・ラヴェルが1922年に完成させた管弦楽編曲版である。
明日の大阪フィル特別演奏会の予習として聴く場合には、個々の絵の描写だけではなく、絵から絵へ歩いていく「プロムナード」が、曲全体をどのように結び付けているかに注目すると、この作品の壮大な構造が見えてくる。
友人ハルトマンの死
ムソルグスキーの親しい友人に、建築家で画家でもあったヴィクトル・ハルトマンがいた。
ハルトマンはロシアの歴史、建築、民俗、旅先の風景などを題材として、多くの絵や建築デザインを残したが、1873年、39歳の若さで急死した。
翌1874年、批評家ウラディーミル・スターソフらによって、ハルトマンの遺作展が開かれた。
展覧会を訪れたムソルグスキーは、展示された絵を眺めながら亡き友人を思い、その体験を一つのピアノ組曲にした。
それが《展覧会の絵》である。
現在、作品の基になったと考えられる絵の一部は失われている。
そのため、私たちはハルトマンの絵そのものを見ることができない場合でも、ムソルグスキーの音楽を通して、その色彩、人物、物語、そして作者の感情を想像することになる。
プロムナード――絵から絵へ歩くムソルグスキー
全曲を結び付けるのが「プロムナード」である。
プロムナードとは、散歩、あるいは歩くことを意味する。
冒頭では、ラヴェルの管弦楽版なら独奏トランペットが、力強く、しかも自然な歩みを思わせる旋律を奏でる。
拍子は規則正しく並ばず、歩幅が少しずつ変化する。
それは、展覧会場を一定の速度で機械的に歩くのではなく、立ち止まり、絵に近づき、また次の作品へ向かう人間の姿を表している。
この旋律はムソルグスキー自身の姿だとも考えられている。
しかし、プロムナードは毎回同じ表情で現れるわけではない。
ある絵を見た後には重くなり、別の絵の後には穏やかになり、時には内省的になる。
つまり、プロムナードは単なる場面転換ではない。
絵を見たムソルグスキーの心が、少しずつ変化していく様子なのである。
第1曲 小人
最初の絵は、奇妙な姿で走り回る小人を描く。
原題の「グノームス」は、地中に住む小人や精霊を意味する。
音楽は突然止まり、急に走り出し、鋭く方向を変える。
不規則なリズム、歪んだ旋律、低音から高音へ跳躍する動きによって、足取りの不自由な小人が、不気味な動作を繰り返しているように聞こえる。
ラヴェルは木管楽器、低弦、打楽器を鋭く組み合わせ、絵の中の怪物を立体的に動かしている。
これは愛らしい童話の小人ではない。
滑稽さと恐怖が同居した、夢の中の異形の存在である。
第2曲 古城
静かなイタリアの古城の前で、吟遊詩人が歌っている。
低く揺れる伴奏の上に、ラヴェル版ではアルト・サクソフォンが、長く物悲しい旋律を奏でる。
サクソフォンの音色は、木管楽器の柔らかさと金管楽器の陰影を併せ持っている。
遠い時代から聞こえてくる歌のようでもあり、誰もいなくなった城壁に残る記憶のようでもある。
音楽は大きく動かない。
同じ伴奏が繰り返される中で、旋律は孤独に歌い続ける。
《展覧会の絵》の中でも、最も深い静寂と哀愁を持つ部分である。
第3曲 テュイルリーの庭
舞台はパリのテュイルリー公園へ移る。
子供たちが遊びながら、口げんかをしている。
木管楽器による短い旋律が、話し声のように行き交う。
子供が走り回り、何かを訴え、別の子供が言い返し、また遊びへ戻っていく。
音楽は軽く、色彩的で、短い。
ムソルグスキーは大げさな描写をせず、子供たちの身振りと会話を、素早い音型によって鮮やかに捉えている。
第4曲 ビドロ
「ビドロ」とは、ポーランド語で牛車を意味する。
巨大な車輪を持つ重い牛車が、ゆっくりと進んでくる。
ラヴェル版ではテューバが主旋律を奏でる。
通常、低音を支えることの多いテューバが、ここでは苦悩を帯びた歌を担う。
牛車は遠くから近づき、目の前を通り過ぎ、再び遠ざかっていくように聞こえる。
重い車輪、牛の歩み、荷を引く苦しさ。
その背後には、民衆の労働と、逃れることのできない運命の重さも感じられる。
単なる風景描写を超え、社会の底辺で生きる人々へのムソルグスキーの眼差しが表れた音楽である。
第5曲 殻をつけた雛鳥の踊り
ハルトマンが、バレエ衣装のために描いたデザインを基にしている。
卵の殻をつけたままの雛鳥が、小さな足で飛び跳ねる。
高音の木管楽器、弦楽器、細かな装飾音によって、雛たちの軽い動きが描かれる。
短いくちばしで鳴き、羽をばたつかせ、あちらこちらへ跳ね回る。
音楽は非常に短いが、ラヴェルの管弦楽法によって、舞台上の衣装、光、色彩まで目に浮かぶようである。
第6曲 サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
二人のユダヤ人が対照的に描かれる。
一人は裕福で威厳に満ちたサムエル・ゴールデンベルク。
もう一人は貧しく、落ち着きなく語り続けるシュムイレである。
ゴールデンベルクの主題は、低い弦楽器を中心に、重く尊大に進む。
一方、シュムイレは、ラヴェル版では弱音器を付けたトランペットが、同じ音を細かく繰り返す。
何かを懸命に訴え、相手の機嫌をうかがい、言葉を重ねているように聞こえる。
やがて二人の主題が同時に鳴る。
威圧する者と訴える者。
富と貧困。
沈黙する力と、聞いてもらえない言葉。
二人の人物の性格だけでなく、人間社会の力関係までが、短い音楽の中に描かれている。
第7曲 リモージュの市場
フランスのリモージュの市場で、女性たちが激しくおしゃべりをしている。
木管楽器と弦楽器が、目まぐるしい速さで音型を受け渡す。
誰かが噂を話し、別の人物が割り込み、話題が次々と変わっていく。
市場の喧騒、人々の身振り、笑い声、言い争いが、休む間もなく展開される。
この曲では、言葉そのものではなく、言葉が飛び交う速度と抑揚が音楽になっている。
そして、最も活気に満ちた瞬間、音楽は突然、死の世界へ落下する。
第8曲 カタコンブ
場面は地下墓地へ移る。
ハルトマン自身が、ランタンを手にパリのカタコンブを歩く姿を描いた絵が基になっている。
ラヴェル版では、金管楽器を中心とした巨大な和音が、石造りの地下空間に鳴り響く。
音楽はほとんど動かない。
明るい和音と暗い和音が交互に現れ、死者の骨に囲まれた空間を照らす光が、揺れ動くように聞こえる。
続く「死者とともに、死者の言葉で」では、プロムナードの旋律が変容して戻ってくる。
ここで、展覧会場を歩いていたムソルグスキー自身が、死者の世界へ入り込む。
プロムナードはもはや肉体的な歩みではない。
亡きハルトマンとの心の対話である。
高音の木管楽器と弦楽器の震える響きの中に、友人の魂が静かに現れるように感じられる。
第9曲 鶏の足の上に建つ小屋――バーバ・ヤガー
バーバ・ヤガーは、ロシア民話に登場する恐ろしい魔女である。
彼女は鶏の足を持つ小屋に住み、空を飛び、人間を襲う。
ハルトマンは、この魔女の小屋を時計としてデザインした。
ムソルグスキーは、その小さな工芸品を、巨大な怪物の音楽へと拡大した。
曲は激しい打撃とともに始まり、魔女が空を猛烈な速度で飛び回る。
金管楽器と打楽器が咆哮し、弦楽器は荒々しいリズムを刻む。
中間部では音量が落ち、魔女が暗闇の中で獲物を探しているような、不気味な静けさが訪れる。
やがて再び激しい疾走が始まり、音楽は止まることなく最後の絵へ突入する。
第10曲 キーウの大門
最後の絵は、ハルトマンが設計した都市の門である。
伝統的には「キエフの大門」という日本語題で知られてきたが、現在の都市名に合わせて「キーウの大門」と表記されることも多い。
ハルトマンの設計は、実際には建設されなかった。
しかし、ムソルグスキーの音楽の中では、それは現実のどの建築物よりも巨大な門となった。
冒頭の主題は、ロシア正教の聖歌を思わせる荘厳な響きを持つ。
金管楽器が堂々と旋律を奏で、鐘の音が都市全体に鳴り渡る。
途中には静かな祈りの部分が現れるが、再び壮大な主題が戻ってくる。
そして、この終曲には、冒頭のプロムナードの旋律が組み込まれている。
展覧会場を歩いていたムソルグスキー自身の歩みが、最後には巨大な門の音楽と一つになる。
個人の記憶が、都市の門へ。
一人の友人への追悼が、すべての人へ開かれた芸術へ。
悲しみは消えるのではなく、荘厳な建築物のような永遠の形へ変えられる。
全オーケストラと鐘が鳴り響く終結は、単なる華麗なフィナーレではない。
亡きハルトマンが、芸術作品の中で再び生き始める瞬間である。
ラヴェルの管弦楽法
原曲を書いたムソルグスキーは、強烈な個性を持つ旋律、和声、リズムによって、絵の本質を音楽にした。
ラヴェルは、その本質を変えることなく、各場面に最も適した楽器の音色を与えた。
「プロムナード」のトランペット。
「古城」のアルト・サクソフォン。
「ビドロ」のテューバ。
「シュムイレ」の弱音器付きトランペット。
「カタコンブ」の金管楽器。
「バーバ・ヤガー」の打楽器。
そして「キーウの大門」の鐘と壮大な金管群。
ラヴェルの編曲が優れているのは、単に華麗だからではない。
一つ一つの音色が、絵の人物、空間、距離、質感、光の状態を示しているからである。
この作品の本質
《展覧会の絵》は、絵を順番に説明しただけの音楽ではない。
絵を見ているムソルグスキー自身の心の旅である。
最初、彼は一人の鑑賞者として展覧会場を歩いている。
しかし、絵を見続けるうちに、異形の小人、古城の歌、牛車、子供、貧しい男、地下墓地、魔女の世界へ深く入り込んでいく。
そしてカタコンブで亡き友人と向き合い、最後の大門で、その友人の芸術を永遠のものとしてよみがえらせる。
冒頭のプロムナードは一人の人間の足音だった。
終曲では、それが全オーケストラと鐘による巨大な行進へ変わる。
個人的な悲しみから、普遍的な芸術へ。
死から、記憶へ。
記憶から、永遠へ。
その壮大な変容こそが、《展覧会の絵》の真の物語である。