MIKIO KISARAとは何者か――『銀河鉄道の夜』を走り続け、定刻が来たかのように姿を現した人間

2011-10-13

高校一年生の時、桑原武夫の講演を聴き、京都大学でその後を継ぐと確信したMIKIO KISARA。
しかし、高校三年生の初めに家庭の平穏を失い、卒業と同時に親友たちの前から姿を消した。
それから約40年後の2010年7月、日本の大学教授、官僚、企業人、全国の読者の前に、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のジョバンニやカンパネルラのように忽然と姿を現した、その半生を記す。

MIKIO KISARAとは何者か?
私の文章は、北大、東北大、東大、早稲田、慶応、名古屋大、京大、阪大、神戸大、広島大、九大、首都大学、千葉大学、北陸先端研究大学、etc.etc.の大学教授の方々、霞ヶ関の官僚の中で中枢に居る方々、日本を代表する大企業の中枢に居る方々に読まれ続けているのです。
勿論、これらの方々は私の先輩、同級生、後輩の様な方達ですから当然だと言えば当然なのですが…。
のみならず北は北海道から南は沖縄まで日本中のありとあらゆる階層の方々に読まれ続けています。
既述したように、私が高校1年生の時、京大人文科学研究所の所長だった桑原武夫と脳神経外科の権威だった東大教授が講演会で仙台に来た。
これを聴きに行った私は確信したのでした「自分は京大に行って桑原武夫の後を継ぐのだ」と。
不思議な事に、この確信は当時の我が母校に於いて世界史を担当していた有名教諭に於いても同様の確信で在った事…廊下で彼に呼び止められた私は「お前は大学に残って京大を両肩で支えなければいけない」と厳命されたのでした。
実に残念なことに、私の家庭は…本当に優秀な所謂伝統校に居た方々はお分かりの様に、最も大事な3年生の初めに終に心理的な「心の平和」的な終焉を迎えた。
この最も大事な1年間を、もぬけの殻となって過ごした私は卒業と同時に姿を消した。
カンパネルラの様に親友たちの前から忽然と姿を消して、その行方は杳(よう)として知れなかった。
或いはジョバンニの様に。
40年も経った2010年の7月に、私は、まるでジョバンニ、カンパネルラの様に「銀河鉄道の夜」を走り続け定刻が来たかのように、北大、東北大、東大、早稲田、慶応、名古屋大、京大、阪大、神戸大、広島大、九大、首都大学、千葉大学、北陸先端研究大学、etc.etc.の大学教授の方々、霞ヶ関の官僚の中で中枢に居る方々、日本を代表する大企業の中枢に居る方々、つまり日本の中枢に居る方々の前に、日本中の読者の方々の前に忽然として姿を現したのです。

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