早朝に私の脳裏で出来あがった三部作――大新聞かネットかではなく、文章に本当の真実があるかを問う

2011-10-11
2026-07-25 旧題「早朝に芥川の脳裏で出来あがった3部作。」を改題して再掲載
早朝に脳裏へ浮かんだ三部作の一章として、内田氏に対し、大新聞とネットの肩書、部数、知名度の違いには本質的な意味がなく、文章と論説に本当の真実があるかどうかだけが問題だと問いかける。
反民主主義的なものに与し、国民をミスリードしながら反省しないマスメディアと、それを許してきた同級生意識、「政治とカネ」を名目とする田中派叩きを批判した2011年10月11日の文章。

昨夜思いっきり早く寝たからであろう、思いっきり早く目が覚めた。
2時、しかしこれではなんぼなんでも早すぎる。
寝直す事にしたのだが、眼を覚ました時に、 先般、私が内田さんよ、あなたは道を間違っている と書いた事を簡潔に指摘した文章に続く事が出てきた。
言論人や学者というものは、こう言う面ではどういうものか私は知らないが、本物の芸術家という者の中にはディレッタンティストはいない。
徘徊主義者はいないということである。
君は、どういう理由かは知らんが、徘徊している。
それを君が師と仰ぐ梅棹たいじんが良しとするとは私には思えない。
大新聞は正しくて、或いは何らかの理由で大新聞は必要であるんだとか、ネットは正しくない、だとかと言うことには何の意味もない。
私が、ただ言いたいのは、私が書きだして、たった一年超の間に私達のマスメディア(この中には当然大新聞の特に論説委員達が含まれる)の酷さに心底気が付いた事である。
ジャーナリストとしてだけではなく人間として決してしてはならない事は反民主主義的なものに与すること。
与してしまっただけでなく国民をミスリードし続けてきた者たちが何の反省もしない。
そういう有り様を、君は、それでいいんだと言っているに等しい。
君もそうだったからかもしれないが、そんな論理はどこにもない。
大新聞であろうがネットであろうが言葉はそこに本当に真実があったのか、本当の真実を書き続けて来たのか、それだけが問題なのであって、大新聞には肩書があるとか、大新聞は大部数の有名だとか、ネットには肩書がないとかネットは無名だとか、そんな事は何も関係がない事だ。
文章とは、論説とは、そこに本当の真実があるかどうかだけである。
「おためごかし」の真実なんかどこにも無いのだ、内田さんよ。
つまり、あなたに代表されるような、そういう、マスメディアに対する同級生意識が、この20年超の痴呆テレビと、35年超に渡る「政治とカネ」…実態は何度も言う様に田中派叩き…と言う名の内向きの虚構ゲームを許して来たのだ、とも言えるのだ。

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