2012-07-01 商業主義は知性の対極にある――東大寺二月堂、室生寺、三井寺、石山寺に見る「本物の価値」

2012-07-01
商業主義は知性の対極にある――東大寺二月堂、室生寺、三井寺、石山寺に見る「本物の価値」
つまり、商業主義というものは、知性の対極にあるものだと云う事を、昨日のNHKの番組は告げていたのである。
ネットに於いても、それは同様なのである。
運営企業が商業主義に走っている限り、知性とは無縁なのである。
皆さんも間違ってはいけないのは、彼等は、皆さんを利用して金儲けをしているだけで、それだけで偉い人間達で在る訳がないのである。
このネットやITで成功したから偉いなどと考えるのは、大きな間違いなのだと云っても過言ではないのである。
ある者は、東大やハーバードや、etc.の出身である事を誇っているかもしれない。
ある者は、PC技術に長けていたと云う事だけで、巨額の財を為しているかもしれない。
しかし、それによって人間としての価値まで決まる訳ではないのである。
むしろ、これらの企業やサイトに価値を与え、大金を生み出させているのは、そこで文章を書き、写真を発表し、意見を述べ、情報を提供し、それを読み、考え、交流している無数の無名の人間達なのである。
この世の99%と云っても良いかもしれない、私たち普通の人間達なのである。
その事に、明瞭に気付くべきなのである。
今日は日曜日である。
だからこそ、何が本当に価値あるものなのかを、もう一度考えてみればよい。
例えば、三井寺から石山寺へ行って、「良いなぁ」と思わなかった人は、ほとんどいないでしょう。
東大寺の二月堂に立ち、室生寺を歩き、三井寺や石山寺を訪れれば、そこに在るものの価値は、金額や売上やアクセス数などでは測れない事が分かる。
長い時間の中で磨かれ、残され、人間の心に直接届くものには、商業主義とは全く別の価値があるのである。
東大寺の二月堂であり、室生寺であり、三井寺であり、石山寺である。
そこに在るのは、金儲けのために作り出された価値ではない。
人間が本当に大切だと思ったものを、時代を超えて守り、伝えて来た結果として存在している価値なのである。
ネットの世界でも、本来、問われるべきなのは同じ事なのである。
どれだけ金を稼いだかではない。
どれだけ人を集めたかでもない。
どれだけ巨大な企業になったかでもない。
そこに、本当に人間の知性を豊かにするものがあるのか。
人間の心に残るものがあるのか。
それこそが、最後に問われるべき事なのである。

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