川端康成の美意識④――草間彌生の才能をいち早く見抜いた「新人発掘の名人」の眼
2011-6-5
◎川端康成の美意識④ 一新人発掘の名人――草間禰生の才能をいち早く見抜いた眼
2011/6/5…川端康成の美意識④ 一新人発掘の名人――日経新聞「美の美」より。
2011年06月05日
(文中黒字化と*は私)
川端康成は若いころ新人発掘の名人と呼ばれた。
優れた批評眼は美術にも発揮され、新進画家だった草間禰生や村上肥出夫の天分をいち早く見抜いた。
草間禰生(82)は今や日本を代表する前衛的なアーティストだ。
その絵画、彫刻、インスタレーション(仮設展否)は国際的に高く評価されている。
*私も100%同意する。
1955年(昭和30年)3月、新進画家だった26歳の草間は、東京・銀座の求龍堂画廊で個展を開いた。
そこにふらりと立ち寄ったのが川端康成。
出品されていた15点の水彩画のうちの2点を購入する。
いち早く草間の天分を見抜いていたわけだ。
草間は2002年に出した自伝「無限の網」にこう書いている。
「作家の林芙美子によって紹介された東京の求龍堂画廊で、『未知火』、『樹神』、『珊瑚礁』、『花の精』、『樹木の精』など、水彩画15点を出品した個展を開く。
この個展の会場に訪れた作家の川端康成と、美術評論家の久保貞次郎が、作品を購入した」
川端が購入したのはこのページの「不知火」と「雑草」である。
2004年に東京国立近代美術館で草間禰生回顧展が開催された際、企画課長だった松本透氏(現副館長)が、
この自伝を読んで川端康成記念会理事長の川端香男里氏に照会し、川端邸の蔵のなかから半世紀ぶりに発見されたものだ。
草間はこう振り返っている。
「私は1メートルくらいの距離から顔をじっと見つめられました。
私は田舎から出てきたばかりで、先生はこの伊豆の踊子みたいな子が描いたのかと思われたのかもしれません。
でも、男性にじっと見つめられたことなどなかったので、少し怖かったです」
長野県松本市の旧家に生まれ育った草間は、幻覚症状に悩みながらも10歳ごろから幻想的な作品を描き続けてきた。
1952年に松本市で開いた個展が、瀧口修造によって評価され、精神科医の西丸四方博士からも「この子は天才だ!」と学会で紹介された。
草間のことは美術雑誌「みづゑ」が紹介し、川端も「みづゑ」を読んでいたと想像できる。
川端は瀧口修造と同様に、現代アートの真価を見抜く鋭い審美眼を持っていた。
「不知火」と「雑草」はともに不思議な作品だ。
「不知火」は青い闇夜に赤い火の球が浮かび、吸い込まれそうになる。
「雑草」は草間自身が「私の精神そのもの」と解説している。
現実の背後の“魔界”を見据える川端らしい選択だ。
川端は文芸評論家としても「新人発掘の名人」と呼ばれ、厳しくも公平な批評眼で多くの才能を評価した。
戦後も三島由紀夫の処女作「花ざかりの森」をいち早く評価し、三島を励まし続けた。
川端コレクションには、伝統的名品だけでなく草間や村上のような新進画家の作品も多く含まれる。
ジャンル、時代、有名無名を問わず、素晴らしい作品を貪欲に集めた川端の幅の広さは驚異的だ。
鋭い美意識は文学だけでなく美術にも大いに発揮された。